お侍様 小劇場

    “遠き彼方の空の下” (お侍 番外編 81)
 

       


 ふっと、何でもない瞬きの続きのようなつもりで瞼を上げれば、自分は夜具の中に横になっていて。四肢へと触れる柔らかな重みをもって“ああ、自分は眠っていたのだ”と気がつくような。そんなまで深い深い眠り方をしていたらしく。今日は何の日だったか、すぐさま思い出せないほどに、まだ寝足りないのか意識はとろとろと取り留めがないままだ。平素にこういう目覚め方をするなんて滅多にないのにな。上掛けから出ていた鼻先もひやりとするから、まだ早すぎる時間帯なんだろか。いやいや、昼寝明けほどの目映さこそない室内ではあれ、調度の配置も見渡せるし、カーテンの向こうには窓の輪郭が明るく透けている。早く起き出さねば、ぐずぐずしていては勘兵衛様や久蔵殿の身支度が間に合わない…とは思うのだけれど。

 “……えっとぉ。”

 掛け布の下、寝具の温い感触が何だかとっても心地よくって。どうしてかなぁ、体を動かすのが勿体ないような気がしてしょうがない。私ってそんなに怠け者だったかなぁ。体の芯も少し重く、何があったか疲れていてのそれで、もう少しこうしてたいなと思ってしまっているらしく。油断をすると意識がすぐにも沈みそうになる、それはそれは心地のいいまどろみの中、それでも何とか抵抗の兆しを掘り起こし、起きなきゃ起き上がらなきゃと自分へ言い聞かせておれば、

 「今日は休みだと言うておいたはずだが。」

 少し上の方からの低いお声とそれから、ほどいた金絲ごと そろりと撫でてくださる、大きな手の重みが頭へ触れて。すぐ間近になっていた気配が、身動きほどではない ささやかな動作に身じろぎをしたことで、実は起きておりましたよと伝えて来たので。

 「勘兵衛様?」

 顔を上げればそこにあったのは、見慣れた相手の、寝起きと思えぬような落ち着いた表情。顎へと髭をたくわえた精悍なお顔と、間近に添うているだけで十分くるみ込まれているよな対比となっている頼もしい胸元からは、大好きな匂いが温かくも届いて。互いに寝間着を着込んでいたせいか、今の今まで意識の外にあったのだけれど、

 “………………あ。/////////”

 えとうと、そうそう。昨夜は えとあの…いつの間に寝入ったのだかさえ覚えていないほど、この御主から随分と翻弄された夜だったので。そうかそれでかと合点がいったと同時、お顔やうなじや背中なんぞへ かか〜〜っと熱が集まって来ての、暖かいどころじゃあない寝暑さに襲われる七郎次だったりし。そして、そんな微妙な焦りに襲われている連れ合いだと、ちゃんと気づいておりながら、

 「如何した?」

 ぬけぬけと訊くところが何とも面憎い。寝起きだというのにさらさらと手触りよく、指の間から擦り抜けてはこぼれ落ちる、気に入りの金の髪を愛でていたのを ふと止めて。その手を頬に添えてやり、こちらをご覧と促せば。羞恥に頬を染めつつも、そのままおずおずと顔を上げてくる。上掛けの縁がかぶさりかかっての、半分ほどは夜具に埋まりかかった白いお顔は、ともすれば幼く見えて。ほのかにやつれを残した起きぬけの、微妙にピントが甘い柔らかさを滲ませた雰囲気の中、青玻璃の双眸をゆらゆらと落ち着きなく震わせる態の初々しさが、何とも言えず愛らしく。

 「〜〜〜〜〜。/////////」

 何でもありませぬと支障なく起き上がれない自分であることが、誤魔化しの利かない自分であることが、そのまま…昨夜の睦みの延長にその身をまだ置いているような気がするのだろうか。そんなこんなを恥ずかしいとし、多少の気だるさも何のそのと起き出してってしまう、朝寝なんて数えるほどにも堪能させてくれたことのない恋女房だったので。これまでは、彼の事情もあろうと思い、好きなようにさせていたものの、

 「久蔵も今頃は宿舎で起き出しておるだろうの。」
 「………、あ。」

 勘兵衛が休みを取っても もう一人の家人のためにと、結局は えいと起き出す賢夫人でもある七郎次だったので。その“もう一人”も不在だぞと、間接的に思い出させるような言いようをしてやれば。懸念していたのはやはりそれだったということか、起き出せないことへのもどかしさへ 眉が心なしか力んでいたものが。そっかと安堵して見せたそのまま、表情からも肩からも力が抜けてゆくのがありあり判る。

 「今日が最終日、ですよね。」
 「ああ。」

 そろそろ起き出して、終了試験の準備なり、帰り支度にという荷物の整理なり、手掛け始めておるやも知れぬ…と。せっかく出掛けているのだし、出来ればこちらからは口に上らせたくはなかった名前や存在。それでもそうと持ってけば落ち着くだろと、宥めさすため、次男坊の名を持ち出せば。初々しい含羞みが一転し、くすすという落ち着いた笑みでその口許を暖めてしまう七郎次であり、

 「昨夜の電話で、
  昨年同様、一番の成績で終了書をもらって帰ると仰せでしたよ?」

 頑張るぞという意向を珍しくも口にした久蔵だったのが、こちら様にも嬉しいことだったらしい。滅多に席次や何やへこだわることのない人なのに、スポーツとなると別なんでしょうねと。可愛らしいお人だと ほのぼの微笑う彼なのへ、

 「お主に褒めてもらえるのが、彼奴には格別のご褒美だからの。」

 いつまでも子供のよう、という意味だけじゃあない。それだけ特別な対象なのだというところを付け足したつもりだったのだが、そちらは…どこまで通じたものなやら。そうなんですよねぇと、同意を得たりというお顔のまま、それでも朝寝を決め込んでくれるつもりか、こちらの懐ろへ 甘えるように身を寄せて来た女房殿だったので。花蜜のような香が甘やかに匂い立つ髪へと鼻先を埋め、寝間着越しにも柔らかな温み、大切な宝として懐ろへ掻い込んで。最愛の女房を独占できる至福、しみじみと堪能する勘兵衛様だったりするのである。

 “…そういえば、今日は何とかいう日であったなぁ。”

 昨日も社のほうへ出勤しはしたが、出先からの直接帰宅となったので、有能な秘書の皆様から、室長が当日は休むと知ってかわざわざ前日に持って来られたチョコの数々を、だが結局はデスクへ置いて来てしまってる。いっそ“心ない上司だ”と辟易されて、来年からは数が減ればいいのだがと。そんな自身の身勝手へこそ、こそり苦笑をこぼした勘兵衛様だったが。そんな御主が、並み居る美女らをどうでもいいとしてでも優先したい、恋女房の手になる逸品、勿論のことチョコ風味のそれ、今年はクリームを挟んだブッセというソフトクッキーを焼いたのを。だがだが、御主より先に供した相手がいることを、果たして御存知な宗主様なのだろか……。





       ◇◇◇



 本来だったら、一月の末に構えられていたスキー合宿だったものが、今年はいきなり半月もずれ込んだのは、国公立大学への入学試験、別名・センター試験における、新型インフルエンザへの対応のせいだった。昨年のGW辺りから華々しくその名を広めたそのウィルスは、毒性こそ弱かったが感染力は桁外れという厄介な代物で。人込みや雑踏、体育館や講堂というほども広々とした空間であれ、感染者が紛れ込んでおればあっと言う間に広がり感染することから、冬どころか夏の終わりから既に相当数の感染者を出したそのまま、冬場も季節性のインフルエンザ以上の罹患者を出し。発熱や重篤状態から完治までに2週間は見た方がいいとされていたがため、それが原因で本試験を受けられなかった受験生救済のための“再試験”の日程が、今年は例年よりも大きくずれて設定され直し。そして、その余波ということか、各高校の学校行事にもあちこちで影響が出たという。担任の教師らだけが詰めていりゃあいいというものでなし、各教科担当の教師陣らも待機とされた結果、一年生と二年生の行事とはいえ、引率担当の教師らのスケジュールへも変更が出たせいで、こんな時期へまでの順延へと相成ってしまい。

 『信じらんない、なんでバレンタインデーに重なるの?』
 『丁度 建国記念日が木曜だったから、
  連休っぽいところへ収まって良かった良かったって。
  そんなの大人の勝手な事情じゃん。』
 『リツコはいいよね、タカくん同んなじクラスだし。』
 『カレ氏が同じガッコじゃない子はどうすりゃいいのっ。』

 突然の日程変更へ、女生徒たちの一部が怒り狂っていたのが何ともお気の毒ではあったけれど、

 『あら、そんなくらいで真剣に怒らなくたって。』
 『そうよねぇ。何もその日だけが告白デーってワケじゃなし。』

 今日びの女の子の中には、何もクリスマスやバレンタインデーに一斉に何かしなくともと、そんなの何か“いかにも”で ダサイと仰せのクチもおいでらしく。お歳暮じゃないんだから…とか、好きなんていつだって言える、こんなことへまで右に倣えなんてイヤだと言い切るところなぞ、なかなかに頼もしいもんであることよ。

  ……とはいえ

 せっかくの“そういう日”に、同じ屋根の下に好いたらしい相手がいる場合は、そこはやっぱり何かアクション仕掛けたいと思うのもまた 人の性
(さが)。そういう手合いの女生徒たちは、スキー合宿という名目も何のその、指定された体操服やら芋ジャー以外にも、ちみっと可愛いインナーのアンサンブルとか、パステルカラーのシュシュに、ネイルセットと新色のリップ。こそりと荷物に紛れ込ませて来てたりし。それからそれから、忘れちゃいけない。おやつとは思えぬ、結構な包装のなされた小箱やら包みやらも、潰れぬようにとのそれは大事に、手荷物の中へと忍ばせてあり。ヘアアイロン持って来ちゃった、うあ偉いなぁ、なにそれ新しいピアス?…などなどと、妙にリキ入ってる子も多数。最終日ともなりゃ、それぞれの級ごとに習熟度を見るテストがあるものの。何もそんなことで頂上を競い合いに来た訳じゃないもんというお歴々にしてみれば。午前中に構えられたその滑降が済んだ後は、帰るためのバスへと乗り込むまでの一時、せっかくゲレンデで迎えた聖バレンタインデーなんだからという点へ燃え、気張ってめかし込んでから、さて、肝心なお相手は何処へと宿舎中を探し回っておいでの模様。今日を待つこともないほど、既に何とはなくいい感じだった二人の場合は、相手もそれなりの予感があったか、ちゃんと判りやすく待っててくれてもいようけれど。一方的な想いを遂げんという場合は、これがなかなかに難しい。恋愛なんぞにまだまだ関心が薄いとか、まさかに自分が誰かから想われているなんて思ってもないクチの場合。男仲間と最後の最後まで旅行を楽しもうと構えているので、一人になるのを待ってもおれず、さりとてそんな中へはなかなか近寄れなかったりするので、恋の駆け引きって大変だねぇ……と、それで済むお人らはまだいい。こちらのガッコの場合は、もっと大変だろうなという手合いもいて。

 「ねえねえ、島田くん見なかった?」
 「それがいないのよ。」
 「宿舎の中、どこにも。」
 「まさかゲレンデに出てるとか?」
 「それはないでしょう。」
 「スキーセットはもう返却したんだし、それに。」
 「そうそう。
  彼ほど目立つ人がいれば、そこらの窓からだってあっさり見つかる。」
 「島田くんがすべると いちいち物凄い歓声が上がっちゃあここまで届いてたって、
  旅館のおばさんたちも言ってたじゃん。」

 軽やかに躍る金の髪をたなびかせ、颯爽と滑り降りてくるその姿には、さして狭い訳じゃあないゲレンデを、なのに彼の独り舞台のようにしてしまうほど、周囲からの注目が集中しており。余裕の切り返しは、それは鋭い切れ味が、指導中のインストラクターさんたちをも見とれさせるほどに鮮やかで。均整の取れた痩躯が強靭なすべりで急斜面を攻めるのへは、何度も何度も女性スキーヤーらの歓声が上がって止まず。顔の半分を隠すゴーグルを無造作に外して、風に乱された髪をばさりと振りつつ、意味深な吐息なんぞをついてみた日にゃあ。素顔がまた数倍ステキ…とついつい見とれてしまってのこと、補助の手が離れてしまった子供が乗ったソリを暴走させてしまい、軽い自損事故をあちこちで起こすママさん客が、ロッジ前にて多発したほど。そうまでの騒動の種となってたご当人、二年○組の島田久蔵くんをと、何とか捜し当てたいとする人々が多数、どこじゃどこじゃと廊下や談話室なんぞを駆け回っている宿舎の………屋根の上では。

 「………。」

 スレート屋根の陽あたりのいい一角に危なげなく立ったまま、ゲレンデを見下ろしている誰かさんの姿があったりし。暖冬かと思われた矢先、いきなり大寒波が訪れたので、都心に近いこのスキー場も、人工降雪機に頼らないでゲレンデを拵えられたというけれど。それでもこの何日かは、いいお日和も続いているので、屋根の上にはさほどの雪もなく。ここで飼われているのだろ、キジ柄でなかなかスタイルのいい猫が、先に来ていた客人を、その足元へとお座りし じいと大人しく見上げてる。何かしらおこぼれちょうだいという気配だなというのへは、何とはなく察しがついていた久蔵だったが、

 『犬や猫にチョコレートをやってはいけません』

 確か体に合わぬのだと、七郎次が言っていたのを思い出し。可愛らしいラッピングのされた紙袋の中、チョコ風味のブッセが入っているの、されどやれぬと知らん顔を決め込んでいる。まるで非常食ででもあるかのように、希少品扱いでちみちみと齧っていたのだが。

 「…………。」 「…………。」

 相手もさるもの、結構辛抱強く、構ってくれるのを待っているようなので。袋の中をごそごそとまさぐると、

 「………っ。」

 あ、と、小さめのお口が丸く開き、その手が掴み出したのが、小麦色したバニラのブッセ。どういう手違いか、いやいや、同じ味ばかりでは飽きるかもと思うたか。チョコ味じゃあないのも入っていたのへ、今初めて気がついて。

 「……。」

 さすがはお母様だと感じ入ったかどうなのか。しばらくほど、その焼き菓子をじっと見やっていたものの、ちらと足もと見下ろすと、まだ待っていた猫さんへ、その辛抱強さに敬意を表し、ケーキを半分こに割りながら、しゃがんで“ほれ”と差し出してやる。卵にバターに、ほのかに蜂蜜の匂いもするケーキは、こちらの猫さんにもお好みだったようであり。がじと食いつくと、転がって行かぬよう前足で押さえたまま、かぷかぷ・もぎゅもぎゅ、黙々と食べ始めて。美味いだろう、それはな、俺の大好きな人が丹精込めて作ったケーキだぞ? ばさばさでもなくベタベタでもなく、日が経ってもこうまで しっとりふわふわなままで。甘さにも品があって、大きさも丁度良くて。その食べっぷりが十分な称賛になると受け止めて、その上で彼なりにどんなに素晴らしいお菓子であるかを、心の中で数え上げるところが…さすがは“シチさんフェチ”の次男坊。気をつけんと、それって一歩間違えれば立派な“マザコン”なんだからね? え? もう遅い? あらまあ…。
(大笑)

 「……、?」

 実は自分が主役であるらしき、階下の喧噪にも気づかぬまま。物言わぬ一人と一匹が、いいお日和の屋根の上にて、風変わりなおやつタイムを静かに堪能していたのだが。その内の“一人”の方が、ふと。眺めていた風景の中、小さな違和感を覚えて目を凝らす。ここはどちらかというとファミリー向けのゲレンデであり、ロッジの周辺のかなり広範囲が平坦な広場という作りにされていて。小さな子供連れの家族がソリ遊びをしたり、子供同士が雪玉を投げ合える広場もあって。久蔵殿が屋根へと登っているこの宿舎から見えるのも、そんなゲレンデなのだけれど。そこから少々はずれた辺り、急な斜面との境目なのか、それとも防風林か何かか。雪景色へのアクセントのよに、ちょろっと常緑の木立が見えているその入り口辺りに、淡い色合いの何かが行ったり来たりしているような。あんまり小さいので久蔵ほどの視力ででもなけりゃあ見つけられはしなかっただろうし、あんまり小さい存在だからこそ、何でまたそんなところに“一人”でいるのかという違和感を呼んだ。地元の子供だろうか? だが、いくら少子化時代でも、こんな…民家もない雪の原まで出て来て一人遊びもないだろに。

 「……。」

 どうしたもんかと、逡巡したのもほんの束の間。持っていた紙袋を手早くたたむと、まとっていたスキーウェアの上着の懐ろへと突っ込んで。

 「…。」

 はぐはぐと美味しいおやつを頬張る猫さんの上へ、陰の一欠片も落とさぬまま。あっと言う間にその姿、風の中へと溶かし込んだ、木曽の次代様だったのでございます。




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